よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

2019-01-01から1年間の記事一覧

祇樹給孤独園

京都の代表的スポットのひとつ、祇園。 さて、このことばの意味はなんでしょう。頭とお尻の一文字ずつを取ると祇園。つまり、京都は祇園の地名のルーツなのです。ゆえに、平家物語でおなじみの祇園精舎も正式には祇樹給孤独園精舎というそうで。このことばを…

広重、北斎、そしてゴッホ

ゴッホ作、タンギー爺さんの肖像油彩のひとつ。 東京出張からの帰途、京都で下車して祇園画廊から京都文化博物館、細見美術館と絵画鑑賞のはしごをしてきました。このうち、文化博物館では歌川広重、葛飾北斎、伊藤若冲ら作品を展示する『百花繚乱ニッポン×…

プレカット、その先へ~木造非住宅

大阪府岬町に完成した、ATA構法によるテニスコート。 2012年、私は社長を退き会長に就任しました。この間の心持ちについては何度か触れてきましたが、今回は職務上の"棲み分け"について。 バブル経済崩壊からの「失われた20年」は木材業界に暗い影を落と…

木材団地の共有私道にまつわるエトセトラ②

県有化された団地内道路。 恒久的な維持管理の確立を目指して始まった、共有私道の公道化プロジェクト。権利者の承諾をようやく取り付けた私たちは、和歌山県・市に対して寄付を受け入れてくれるよう陳情しました。ところが県も市も回答は「No。」私道は自…

木材団地の共有私道にまつわるエトセトラ①

和歌山木材港団地の案内図。赤線部が共有私道だったところ。 長らく会社経営に携わるうち、和歌山木材協同組合や和歌山木材港団地振興会、和歌山木材港株式会社など業界団体の要職をいくつか務めさせていただきました。任期中、いろいろな懸案事項に直面しま…

東日本大震災と仙台工場

赤い部分が東日本大震災における仙台市周辺の浸水域。地図左下、エンジ色のMのマークが当社仙台工場。 2011年3月11日、最大震度7の東日本大震災が発生。当社仙台工場がある名取市も震度6弱の地震に見舞われました。こうしたなか工場は、建設時に津波を想…

経営方針発表会

発表会の様子。2019年和歌山(上)、1996年千葉(左)、2007年仙台(右。左奥が現社長。)。 当社にとって経営方針発表会は一大行事です。1994年(平成6年)10月開催時から、全従業員が一堂に会し、前年度の反省と今年度の方針を共有する場としています。そ…

全国制覇への挑戦

社の成長をテーマにしたモニュメント。道まだ半ばか。 当社は1995年までに千葉、和歌山、仙台のプレカット工場で造作材を除く全商品一括納材体制を確立しました。その結果、年間生産実績で日本一を達成するに至りましたが、一方で他社のプレカット参入も相次…

立場に即した姿勢

社長が社長であるだけでは成長できない。常に経営者としての自覚を持ちながら事にあたって初めて成長することができる。私が社業を推し進めていくうえで心してきたことです。 具体的には、①会社を潰さない、②会社に貢献している社員を守り抜く、③人、物、金…

祝 吉野彰さんノーベル化学賞

孫がメル友。私愛用のガラケーにもリチウムイオン電池が。 ノーベル化学賞に旭化成の吉野彰名誉フェローが決まりました。同じ年代の一人として大変うれしく、感動を覚えました。そして、テレビ各局のインタビューに答える氏の言葉は、過去のどの受賞者のそれ…

先人から学んだこと

経営の師である父(写真右) 経営についての知識はゼロといっていい若い時分から、私は家業である木材・製材業を任されました。学生時代は勉強嫌いで通っていた私も、生活が懸かっている仕事ではそういってもいられません。とにかく先輩たちに付いていけるよ…

美術・芸術のこと~器の魅力ふたたび

大事に使っている我が家の古伊万里(いただきもの)。 前回ご紹介した『太陽の森ディマシオ美術館』には以前、古伊万里を展示するコーナーがありました。以前から器に興味のあった私は時の経つのも忘れ、ひとつひとつの作品に見入ったのを憶えています。その…

美術・芸術のこと~ディマシオ美術館を再訪

ディマシオ作、世界最大の油彩画。 K銀行のY元頭取は現在、北海道新冠町にある『太陽の森ディマシオ美術館』の館長を務めていらっしゃいます。2010年の開館以来、私も数回お邪魔しているのですが、今回、陶芸作家m.yam(エム・ヤム)さんの作品を見るため…

美術・芸術のこと~器の魅力

わたしの備忘録ノート。今回は魯山人について記す。 当ブログにたびたび登場するK銀行のY元頭取。銀座の寿司の名店にご一緒した際、出された器の中に北大路魯山人の織部間道文俎鉢によく似たものがあり、その美しさに目を奪われました。この店の4階には魯…

2度目のデンマーク王国訪問

クヌッセン機関長殉難時の本船の映像前にて。写真右から筆者、片山会頭(紀陽銀行会長)、下副知事。 和歌山商工会議所と和歌山経済同友会の共催でデンマーク訪問の話が持ち上がったのは今年の初め。和歌山県の下副知事との折衝を経て、県関係者と私たち、総…

社員は家族

2018年の初午祭。家族館前で社員とともに。 本社社屋の一角に設けた福利厚生施設は『家族館』といいます。社員は家族という考えに基づいて私が命名しました。内部は大小会議場と展示ホールからなり、現在は主に新年式、入社式、経営方針発表会など社内行事の…

新社屋の完成と和歌山港への本船入港

本社社屋竣工パーティーで当時の仮谷知事(左)と。 新設した建設部を活かすべく、1993年5月、リフォーム部門を担う子会社としてリフミック株式会社を設立しました。また当時、宮本工業本社の事務所が手狭になっていたこと、営業強化のため展示場が必要だっ…

海外で受けた刺激

当社玄関前の『クッサーボール』。 当ブログ『あの日の父』の回に掲載した、私と父の写真を撮ってくれたのがK銀行のY元頭取です。そのYさんとはかれこれ40年のお付き合いになります。 当社プレカット事業の本州3拠点体制が整い、建設部を新設したのが199…

仙台工場の設立~本州3拠点体制へ~

仙台工場祝賀パーティーでの筆者(写真右)。 和歌山製材工場にプレカットのラインを設けたことで、当社のプレカット生産拠点は首都圏を担う千葉、近畿の和歌山の2ヶ所になりました。本州全体を商圏として広くカバーするための3ヶ所目をどこにすべきか。新…

和歌山工場のプレカットへの転換

千葉工場(写真左)と和歌山工場(同右)の各祝賀パーティーでの筆者。 日本初の大規模プレカット工場として千葉工場が本格稼働して半年。工場のお披露目を兼ね、1986年4月23日、レセプションを催しました。各界から祝辞をいただき宴もたけなわ。しかし、最…

プレカット第1号の試練

現在はタワーマンションがそびえる、このあたりが当社プレカット第1号の現場。 日本で初めて実用化にこぎつけた当社の全自動プレカットシステム。最初の施工物件は東京都心・青山霊園に近い、建坪126坪に及ぶS林業の木造2階建てでした。土台ができあがり…

プレカット実用化へ③

1986年頃の千葉工場。 「何のご用でしょう。」そう声をかけてこられたのは、やはり社長さんでした。後から考えると、この時点で潮目は変わっていたのだと思います。私は、ついさっき担当者に話したのと同じ内容を伝えるとともに、①予算は5千万円しかないこ…

プレカット実用化へ②

日進月歩で進化するパソコンも当時は黎明期。 大阪の工場で見た工程は、いわばマニュファクチュア=工場制手工業でした。コンピュータで設計(CAD)し、コンピュータ制御で製造(CAM)しなければ"産業革命"は完結しません。自動車部品やプレハブの鉄骨などで…

プレカット実用化へ①

「木造の軸組をプレハブ化できれば。」プレカットはそんな思いから生まれました。 スマホやTVゲーム機が当たり前の今の若者はともかく、ある世代以上の人はプラモデル作りに興じたことがあるでしょう。プラモデルは、あらかじめ加工されたパーツを組み立て…

東京進出の夢

建設中の千葉工場。 和歌山で育ち、和歌山で父の会社を引き継いだ私にとって、東京は夢の地、希望の都でした。政治、経済の中心であるだけでなく、日本の人口の10分の1を抱えるスケールは、そのままビジネスチャンスの大きさにつながると思ったからです。 …

青天の霹靂

社長就任当時の筆者(写真右)。 平成から令和へと元号が変わる昨夜。大阪市内のホテルでなかなか寝付けずにいた私は、室内のソファから夜景をぼんやり眺めながら、平成を駆け抜けた上皇・上皇后陛下に思いを馳せました。約30年の長きにわたり国民に寄り添っ…

いかだ事件

大学在学中から家業を手伝い始めた私は、卒業後、当時の宮本木材工業に正式に入社します。会社の跡継ぎは兄というのが既定路線でしたので、ある意味、気楽に仕事を始められました。しかし、その一方で誰よりも早く出社し、誰よりも一生懸命に仕事をすると心…

自分のことばで伝える

和歌山県の広報番組「きのくに21」収録に臨んだ際の筆者(写真左)。中央は仁坂吉伸和歌山県知事。 背中を見せるだけではなく、ときには自身が経験してきたことを自分のことばで話すことも必要。そんな当たり前のことを気付かせてくれた出来事に、和歌山県の…

書くことの意味と意義

人生50年と言われたのは遠い昔の話。今では人生80年、いや、人も住まいも100年時代と言われるようになりました。そんな現代ですが、70を過ぎた私にとって、残された時間はそうそう長い訳がありません。 では、その残された時間に私は何をすべきか。そもそも…

人間万事縁と運② 阪神・淡路大震災での命拾い

今も玄関に飾っている那智黒石。枕元に飛んできた小ぶりの方は捨てました。 紀伊続風土記にその名が初めて記されたという那智黒石。碁石や装飾品などに使われる石で、我が家では以前、幅高各40~50cm、約25kgあるものを玄関に飾り、枕元に近い台の上には、幅…