よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

コロナ禍の中のゴールデンウィーク

いろんな資料と格闘し、休暇モードから平常運転に。 最大11連休の会社も、といわれた今年のゴールデンウィーク。当社は暦通りの休暇でしたが、還暦の頃から3日も休みが続くと頭の回転が鈍ってくる私にとっては長過ぎる休みです。そこで今回は5月1日と4日…

商売繁盛・家内安全

令和3年3月23日、当社初午祭の様子。 子どものころ住んでいた和歌山市寄合町の家の庭に稲荷社がありました。父が商売繁盛・家内安全を祈願して建てたものです。現在は本社敷地内に置いていますが、通算70年あまりにわたって宮本家では旧暦の初午の日に社殿…

涙の興奮冷めやらず

マスターズwebサイトhttps://www.masters.com/より引用。 「もしかして勝ったりしたら・・・」そのことが意識下にあったのでしょう。4月12日(月)、いつもより少し早く午前4時前に目覚めた私は、録画予約していたにもかかわらず早速テレビを点け、ゴルフ中継…

痛風とともに

ある朝の食事。ありがたくいただきました。 令和元年(2019)のゴールデンウィーク明け、それまで半年余り治まっていた痛風の症状が再発しました。毎月1度訪れる赤坂のクリニックで相談すると、まず心当たりがあるかどうかを尋ねられました。私は生活習慣、…

痛風がやってきた

サイドを切った特製?シューズ。「こうまでしてゴルフ?」と言うなかれ。 日記をめくると、それは平成30(2018)年8月12日のこと。なんともいえない足の痛みで目覚めると、右足の親指とその周りが青紫になり腫れ上がっていました。これが世にいう痛風か・・・…

兄との別れ

令和3年1月27日、敬愛する兄の堯夫が亡くなりました。戒名は『光喜院顕空堯祐法道居士』、満中陰を無事に済ませたばかりです。 兄は父が興した事業のうち建売住宅の販売と不動産関連業を継ぎました。弟の私は製材業。父は、何事にも慎重居士な兄に本家を守…

タイム・イズ・マネー

飛行機 vs 新幹線、あなたはどちら派? 「時は金なり」といいます。ビジネスの世界においては、なんといっても時間を有効に使うことが金=稼ぎに直結するのです。 当社には千葉・仙台の両工場があります。そのうち、まず千葉工場ができた昭和55(1980)年当…

会議を変える。会社が変わる。

勝負の帰趨(きすう)はどうあれ、会社にはトップダウンが必要なとき、もしくはトップダウンでなければ前に進めないときがあります。ただ、その段階を過ぎると、今度はボトムアップなくして会社の成長は望めません。そこで重要になってくるのが会議です。 と…

忘れていた宝物③~ノートに綴った情熱

『人を動かす人になれ』は今も愛読書の一つです。 いつの間にかその存在を忘れてしまっていた26冊の大学ノート。ところが読み返してみると、そのとき感じた気持ち、読んだ本から受けた感銘が鮮やかに蘇ってきます。なかでも『人を動かす人になれ』(永守重信…

忘れていた宝物②~古典に学ぶ

当時書き写した本は今も書棚に。 書類の山から見つかった宝物。26冊の大学ノートに記した内容の多くは、私が読んだ書物の書き写しと要点のメモでした。例えば『人生の知恵』(守屋洋著)を読んだ際には、人を使うときの心得について書かれた部分や人間誰しも…

忘れていた宝物①~古びたノート

これが、見つかった大学ノートたち。 失くしたことさえ忘れていた物が、偶然見つかるという経験はありませんか。ある日の私がそうでした。来客と目の前の棚に保管している書類について話していたとき「あれ、あの棚の中に他にも何かあったような・・・」との思…

雲は流れ旗はたなびく

その日の私は多分こんな感じで・・・。 先日、当社の幹部が深刻そうな表情で私の執務室を訪ねてきました。案の定、危機的問題の発生です。ただ、騒いだとて解決するものでなし。相談役として、自らの経験と照らし合わせながら、アドバイスを送りました。 皆が去…

最悪な出会いと最高のお付き合い

仁坂知事、令和3年の一文字は「健」。 恋愛ドラマの王道パターンのひとつに、最悪な出会いから恋愛への発展というのがあるそうです。私にとって和歌山県の仁坂知事との関係は、まさにそんな感じなわけで・・・。 仁坂氏と初めて会ったのは氏の“二選”出馬が決ま…

謹賀新年

当社の令和3年日めくり。 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 当社の新年の行事に新年式があります。仕事始めにあたって経営陣が今期の必達目標に対する経過報告をするとともに、残り9ヶ月の戦術を全社員に熱く語り…

今も辿り着けないゴール

その昔、社長になったら会社を5倍の規模にしてやろうと意気込んでいました。ところが実際に社長になってみると、何から手を付ければいいのか全く分かりません。そればかりか自分が周囲からどう見られているのかが気になってしまい、主体的な判断が取れない…

コロナ禍で学んだまごころ

本社玄関のお札。社員が毎朝、手を合わせます。 10月1日付けブログ『うれしいプレゼント』で、熊野那智大社の疫病退散のお札をいただいたこと、そして和歌山・千葉・仙台の事務所玄関に貼らせてもらったことを記しました。また、お札に書かれている「蘇民将…

ベトナム人技能実習生との交流

菅義偉総理の初外遊先はベトナムとインドネシアでした。コロナ禍ということもあるでしょうが、いずれにしてもアジア諸国との交流を重視している表れだと思います。 ところで当社では現在、18人のベトナム人が働いています。うち16人は技能実習生で、仕事=勉…

憎めないアイツ

私の若い頃に似て・・・はいないか。 ここのところ、私のもとに足繁く通ってくる営業マンがいます。日本を代表する証券会社の和歌山支店に勤務する彼は札幌生まれの25歳。若いだけあって、少々強引だったり自分勝手だったりする人物ですが、どこか憎めないとこ…

失敗の数々、そして今・・・

『安岡正篤一日一言』を読む。 玉音放送の草案を執筆。のちに平成の元号を発案した安岡正篤は「思考の三原則」として次のことばを遺しました。第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること。第二は、物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的…

失敗の数々

社名変更、統合と経緯の違いはあれど、看板を下ろしたグループ会社のプレートたち。 当ブログ『一番大事なもの③』で「つぶしてしまった子会社の数々にも意味があった」「終わり良ければ全て良し」と記しました。とはいえ、今でもふとしたときに苦い思いが蘇…

きんちゃんと渋沢栄一と

まさに帝国ホテルの生き字引。靴磨きのきんちゃん。 帝国ホテル地下1階で50年以上シューシャイナー(=靴磨き)を続けているきんちゃん。私もかれこれ30年あまり、東京出張の際に靴を磨いてもらっています。その日、お店にはちょうどお客が誰もいなくて。こ…

長いお付き合い

『兼定』を切り盛りする中村兄弟。 美味しい料理店、素晴らしいお店は世に数多くあります。それでも、自然と足が向いてしまう、長く通い続けているお店となると、ごく限られた数になるのはなぜだろう。先日、六本木の寿司店『兼定』さんを久しぶりに訪ねた際…

うれしいプレゼント

熊野那智大社の疫病退散のお札。 拙著『ジロー物語』の出版祝いの会を友人が開いてくれました。彼には出版にあたりいろいろアドバイスをもらっていて、そのうえ祝宴とは畏れ多いと思いつつ、お言葉に甘えることにした次第です。 会場に指定された大阪市内の…

経営方針発表会の目的

2019年の経営方針発表会より。 私が代表権を返上してから3度目となる経営方針発表会がもうすぐやってきます。私があれこれ考え込む必要はないのですが、長年の習慣とは恐ろしいもので毎年この時期になるとなんだかそわそわしてくるのです。 そもそもこの発…

一番大事なもの③

ヒト・ヒト・ヒトに囲まれて。 父からの指示で金策に走り回った若い頃。そして社長として社業の拡大に腐心したその後。ビジネスとはいえ、いずれにしてもお金を切り離すことはできない時を長く過ごしてきました。そのなかで常に考えてきたのは無駄金を使わな…

一番大事なもの②

読んでは写す・メモを取る。私なりの勉強法です。 昭和50年、私は父の跡を継いで28 歳で社長になりました。ライバル他社の社長はもちろんのこと、自社の幹部もみな年上。普通なら委縮してしまいそうな環境ですが、何につけても強気一辺倒の私は歳のことなど…

一番大事なもの①

大事なものは変われども、お稲荷さんに手を合わせるのは子どもの頃から変わらぬ習いです。 本当に大事なものってなんだろう・・・。「真実はひとつ」のはずですが、人によっても、またその立場、年代によってもバラバラであるような気がします。 私が若い頃、年…

ピンチとャンスの繰り返し②

「執念」は当社の基本理念。社長就任前の昭和50年元旦、一気に書き上げた100枚のうち最初の1枚。 夏になると気になるのは、昔も今も9月の期末決算のこと。とくに今年はコロナ禍による稼働率の低下をどうカバーできるか、経営陣の真価が問われる機会となりま…

ピンチとチャンスの繰り返し①

社内に貼り出している『宮本イズム』。 企業の最終目的は生き続けることにある~ピーター・ドラッカー。 私はこの言葉に感じて、この言葉を信じて行動してきました。具体的には、いかなる経営環境にあっても、明確に中長期のビジョン(未来構想)・戦略を掲…

強みは何か

50年前から現在に至るまで、多くの方にお世話になりました。 毎朝のストレッチ運動の途中、ふと昔のことを思い出すことがあります。そういえば20数年前、営業支援のため、横浜にある取引先を訪ねたときのこと・・・。 「宮本さん、宮本工業の強みは何ですか。」…