よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

東京進出の夢

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建設中の千葉工場。

 和歌山で育ち、和歌山で父の会社を引き継いだ私にとって、東京は夢の地、希望の都でした。政治、経済の中心であるだけでなく、日本の人口の10分の1を抱えるスケールは、そのままビジネスチャンスの大きさにつながると思ったからです。
 社長就任後、私は関東の営業拠点を木場に築きました。その後、営業所は新木場に移転。さらに、当時重点を置いていた現地挽き・再割の工場を首都圏に置くべく、物件探しを始めました。浦安、木更津と立地を検討していると、お世話になっているM商事の方から「うちの千葉木材埠頭のリースで工場をやってみないか。」というお誘いがありました。土地購入予算に余裕がなかった当社にとって、これは渡りに船、いや地獄に仏のお話です。しかも間口は取る割に面積は一部でいいという、こちらの都合にも合わせていただき、1980年、ついに千葉第一工場が完成しました。"東京"ではありませんでしたが、首都圏進出という夢が叶ったのです。千葉工場はその後、1985年にプレカット施設を設けるなど、工場・敷地ともに拡張。並行して行った敷地の買取も完了し、現在、当社の本州3拠点体制の一翼を担っています。
 さて、全てが順調だったかのように記してしまいましたが、千葉工場の建設にあたっては苦い思い出があります。当社役員の友人が在籍していた縁で、ある会社に工場建設を依頼したところ、経営者にその手付金を持ち逃げされたのです。建設もうちでどうかと提案してくれていたM商事に断りを入れ、別の会社に発注した結果がこのザマ。あまりの恥ずかしさに私は、自分の貯金で穴を埋めようとしました。そしてただ一人、M商事の友人に打ち明けたところ、「次朗君、嘘はいかん。」と一言。私は意を決してM商事へ。「そらみたことか。」と先方が思ったかどうかはともかく、その先は前述の通り。そして千葉工場は、当社にとって、"第3の誕生"といえるプレカット進出の舞台となったのです。

 よろずやジロー、きょうのひとこと。
 念ずるだけでは叶わない。
 念には念を。

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再割オートテーブル機。

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再割ラインへのクロスカット選別機。