前回ご紹介した『太陽の森ディマシオ美術館』には以前、古伊万里を展示するコーナーがありました。以前から器に興味のあった私は時の経つのも忘れ、ひとつひとつの作品に見入ったのを憶えています。その際に気付いたのは、ひとくちに古伊万里といっても実に様々なものがあるということ。「古伊万里といえばこんな感じ。」と漠然としたイメージを持っていた私にとっては目から鱗。ますます興味が湧いたものです。
その後、古伊万里に関する書物をいろいろと読むようになりました。有田焼は今から400年ほど前、豊臣秀吉の部下だった佐賀藩主、鍋島直茂が朝鮮人陶工の金ヶ江三兵衛(李参平)らを当地から日本に連れ帰り、陶器を作らせたのがルーツだそうです。彼らは、世界最高峰とされる中国・景徳鎮の土に迫る良質な陶石が有田の泉山で産することを発見し、日本初の陶器を作り上げたとのこと。これが古九谷とも呼ばれる初期伊万里様式です。その後、有田焼は鍋島様式、柿右衛門様式、金襴手技法と独自の進化を遂げていきます。
初期の古伊万里がシンプルな色彩の白磁器・青磁器中心だったのに対し、金襴手技法の頃になると、濃い染付けに赤や金といった絵の具を施す、鮮やかな色彩を持つようになりました。私がとくに好きなのは初期のもので、図鑑を見るだけでも、思わず引き込まれそうになります。素人目にも素晴らしいと分かるほどですから、価値もさぞかしと調べてみると、物によっては数億円の価値があるんだそう。驚くばかりです。
とはいえ、世は4K・8Kの時代。美術館に行かずとも、目の前で見る以上の鮮明さでテレビが古伊万里の魅力を伝えてくれます。ですから、いまは映像を通じて勉強中の私。本当に仕事をリタイアするときが来た際は、気になっている作品の現物を目にする旅に出かけたいと思っています。
よろずやジロー、きょうのひとこと。
"分かる人"に仲間入りできるのはいつの日だろう。