よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

海外で受けた刺激

当社玄関前の『クッサーボール』。 当ブログ『あの日の父』の回に掲載した、私と父の写真を撮ってくれたのがK銀行のY頭取です。そのYさんとはかれこれ40年のお付き合いになります。 当社プレカット事業の本州3拠点体制が整い、建設部を新設したのが1991…

仙台工場の設立~本州3拠点体制へ~

仙台工場祝賀パーティーでの筆者(写真右)。 和歌山製材工場にプレカットのラインを設けたことで、当社のプレカット生産拠点は首都圏を担う千葉、近畿の和歌山の2ヶ所になりました。本州全体を商圏として広くカバーするための3ヶ所目をどこにすべきか。新…

和歌山工場のプレカットへの転換

千葉工場(写真左)と和歌山工場(同右)の各祝賀パーティーでの筆者。 日本初の大規模プレカット工場として千葉工場が本格稼働して半年。工場のお披露目を兼ね、1986年4月23日、レセプションを催しました。各界から祝辞をいただき宴もたけなわ。しかし、最…

プレカット第1号の試練

現在はタワーマンションがそびえる、このあたりが当社プレカット第1号の現場。 日本で初めて実用化にこぎつけた当社の全自動プレカットシステム。最初の施工物件は東京都心・青山霊園に近い、建坪126坪に及ぶS林業の木造2階建てでした。土台ができあがり…

プレカット実用化へ③

1986年頃の千葉工場。 「何のご用でしょう。」そう声をかけてこられたのは、やはり社長さんでした。後から考えると、この時点で潮目は変わっていたのだと思います。私は、ついさっき担当者に話したのと同じ内容を伝えるとともに、①予算は5千万円しかないこ…

プレカット実用化へ②

日進月歩で進化するパソコンも当時は黎明期。 大阪の工場で見た工程は、いわばマニュファクチュア=工場制手工業でした。コンピュータで設計(CAD)し、コンピュータ制御で製造(CAM)しなければ"産業革命"は完結しません。自動車部品やプレハブの鉄骨などで…

プレカット実用化へ①

「木造の軸組をプレハブ化できれば。」プレカットはそんな思いから生まれました。 スマホやTVゲーム機が当たり前の今の若者はともかく、ある世代以上の人はプラモデル作りに興じたことがあるでしょう。プラモデルは、あらかじめ加工されたパーツを組み立て…