よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

仙台工場の設立~本州3拠点体制へ~

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仙台工場祝賀パーティーでの筆者(写真右)。

 和歌山製材工場にプレカットのラインを設けたことで、当社のプレカット生産拠点は首都圏を担う千葉、近畿の和歌山の2ヶ所になりました。本州全体を商圏として広くカバーするための3ヶ所目をどこにすべきか。新潟、静岡などいくつかの候補地を検討するうち、私が選んだのは仙台でした。決め手は、当社の得意先であるM商事が東北地方に営業網を張り巡らせていたこと、そして競合他社が進出していなかったことでした。
 実際の進出地を検討していたある日、仙台で取引先の方々とゴルフをすることになり、プレー前の早朝、練習場に立ち寄りました。ホテルから国道4号を南下すること30分。名取市にあり仙台空港に近い、その練習場は距離が約200ヤード、25打席ほどのコンパクトな規模。ショットを繰り返しながら、私は「工場にはこれくらいの広さがちょうどいいな。」と直感しました。和歌山に帰ったあと、その練習場について調べてみると、所有者は大阪の建設会社。当時、仙台方面では大衡村の1万坪の土地が候補に上がっていたのですが、私は直感を信じて練習場についての商談を持ち掛け、半年後に購入しました。
 ここには、のちに東日本大震災による津波が押し寄せます。地震、津波についての危険性は当時から叫ばれており、当社では3000坪の敷地に土盛りをすることにしました。また、大地震に備えるため、基礎直下支持杭補強工法(アンダーパイリング工法)を採用し、100本以上の杭を最大35mの深さまで打ち込みました。さらに工場自体の構造もより頑丈なものにしました。その結果、工費は予算を1億円ほど上回ってしまいましたが、のちの震災で被害がほぼゼロだったことを考えると、適切な判断を当時したものだと思います。
 こうして1990年12月、宮城県名取市に仙台工場は完成。お披露目を兼ねたパーティーは招待客、従業員合わせて400人規模の盛大なものとなり、ここに当社の東北地方での事業がスタートしたのです。

 よろずやジロー、きょうのひとこと。
 備えあれば憂いなし。

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仙台工場の用地として購入したゴルフ練習場。