よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

失敗の数々

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社名変更、統合と経緯の違いはあれど、看板を下ろしたグループ会社のプレートたち。

 当ブログ『一番大事なもの③』で「つぶしてしまった子会社の数々にも意味があった」「終わり良ければ全て良し」と記しました。とはいえ、今でもふとしたときに苦い思いが蘇ってくる失敗がいくつもあるのは事実。今回は後輩達が同じ轍を踏まぬよう、私がしでかした失敗について披瀝しておきたいと思います。
 80年代からバブルにかけて、当社もいろんな事業に手を出しました。例えば昭和57年(1982)10月に設立した和歌山南港自動車教習所。元祖の製材工場を9割減産するにあたり2400坪を遊休地にしてしまうくらいならと、軽い考えで教習所を始めたのです。ところが経営は苦労のしっ放し。結局4年で撤退するに至りました。
 平成元年(1989)8月、千葉工場内に建築会社『F&B』を設立。黒字化を果たし上向きムードのとき、共同経営者に全てを譲渡しました。この会社は本社建設部のルーツでもあり、あのまま続けていれば今頃は・・・と思うことがあります。
 平成2年(1990)10月に設立したのはソフトウェア開発の『オーセンテック』。本社工場のシステムや地域の企業向けソフトなどを手がけました。しかし、基本ソフトがPC-98からMS-DOS、Windowsへと大きく変わる時代の波に呑まれ、7年で事業継続を断念しました。
 平成5年(1993)4月、リフォーム・建設部門の充実拡大を目指して『リフミック』を設立。ピーク時には年商12億円を売り上げたものの本社事業との棲み分けがうまくいかず、5年で本社に吸収合併される結果に終わりました。
 そしてもう一つ。現行会社である『日本プレカットシステム(NPS)』にまつわる話もしておかねばなりません。そもそもこの会社は平成7年(1995)1月、三菱商事が15%を出資する合弁会社として発足。宮本工業および他社が生産するプレカット加工材の販売、プレカット工場の建設・管理・メンテナンスにあたっています(現在は加工材の販売に特化)。設立以来、営業成績は安定しているのですが、あれはNPSが10周年を迎える頃。三菱商事の木材部門再編の動きを知った私は、ならばとNPSの100%子会社化を提案し三菱商事側の全株式を買い取りました。しかし、業界からは「すわ、三菱の宮本外し。」という逆の反応が広がって・・・。それはともかく、問題はここから。直後にリーマンショックが世界を襲い、当社も収益が悪化して大変な思いをしました。
 NPSの件が失敗だったかどうか、答が出るのは今後次第ですが、その他の件は明らかな失敗。「会社をより大きくしたい」という思いに駆られ、勢いに任せて突き進んだ果ての当然の結果だと思います。こうして挙げてみると、なんと多くの失敗を繰り返してきたことか。次回は、これらの失敗から得た教訓を記したいと思います。

 よろずやジロー、きょうのひとこと。
 自分にとらわれ、自分にこだわれば、必ず失敗する。