よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

宮本工業グループ75年史ダイジェスト④

 哲治が宮本工業代表取締役社長に就任し、私が代表取締役会長に就いたのは2012年10月のこと。哲治の入社から社長就任まで15年あまり。この間に世代交代に向け私がまず行ったのは負の遺産の整理だった。
 2001年9月期に子会社オーセンテックを特別清算。資金確保のため本社社屋と土地の一部を売却し、それらを賃借することとした。さらに2003年9月期に子会社エフアンドビー、翌9月期に同リフミック、2005年9月期には同宮本木材をそれぞれ特別清算。企業グループを宮本工業とNPSの2社体制にスリム化した。
 ただ、会社の未来に向けた投資も怠ったわけではない。2000年9月期、本社工場に面した海面の埋立て工事が行われた際にはその土地を購入。現在はプレカット材の倉庫となっている。また、2009年9月期に本社社屋と土地を買い戻し、次代にも持続可能なグループの本拠とした。
 一方、新たな取組みとして2007年2月、宮本工業本店を二級建築士事務所登録。同年10月には宮本工業本店と東北支店がSGEC(緑の循環)認定を受けた。SGECは、森林認証制度によって「持続可能な森林」を広げ、「持続可能な紙・木製品」を増やすことを目指す制度である。当社では、持続可能に管理された森林から伐採される認証材の使用に努め、SGEC認定企業として地球環境の保護に貢献することを目指している。
 さて、私が世代交代の準備期間に充てた約15年は、バブル後の“失われた20年”と時期が重なる。この間、日本経済は二極化が進み、住まいづくりにおいても購買価格層の二極化が起きた。高い物かとことん安い物か。より多彩になる消費者ニーズに応えるべく当社はこの時期、技術の向上とノウハウの蓄積に専念した。こうした雌伏の時が会社の経営に明るい光をもたらすようになるのは、世代交代を果たしてしばらく経った頃のことである。