よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

素敵な人物との出逢い

来社された明治安田生命の永島英器社長と。

 その昔、プロ野球の盗塁世界記録を目指す阪急ブレーブス・福本豊選手の足に1億円の保険が掛けられた、なんていう話がありました。「足に1億とは!」と思った私ですが、今回はその私の命に最大25億円の保険が掛かっていたという嘘のような本当の話と、それがきっかけになった出逢いについて・・・。
 当社の前身である宮本木材工業に私が入社して間もなく、原料の仕入れ先である三菱商事木材部の担当者が来社されました。いつもと違う表情に何事かと尋ねたところ「大阪までできるだけ早く来てほしい」とのこと。用件はずばり「契約者:宮本次朗、受取者:宮本木材工業」の生命保険に入るべしとの話でした。「小さな会社が大きな取引をするには命を担保にしなければならない」。まさに命懸けの覚悟で判子をついたのが明治生命(現・明治安田生命保険相互会社)とのお付き合いの始まりでした。
 そして福本さんの保険が話題になった昭和47年(1972)頃、法人・宮本木材工業には10億円、私個人には1億円の保険が掛かっており、毎月の支払いは合わせて70万円。その後、売上高が伸びるにつれて額も増え、昭和60年(1985)頃には他社加入分を含め法人に20億円、私個人に5億円。毎月の支払いは合わせて154万円にものぼりました。以後、会社の信用度が上がったことで掛けるべき保険の額は少なくなりましたが、契約は一度も途切れることなく、実は今も当時の10分の1ほどの支払いを続けています。
 今日まで社業を続けてこられたことで明治安田生命とのお付き合いも結果的に長くなり、平成29年(2017)には当時常務だった永島英器さんが当社を訪ねてくださいました。さすが大会社の常務と思わせるお人柄に心酔したのを今でも憶えています。その永島さんが令和3年(2021)、今度は社長に昇進。すると就任から間もなく、再び当社に来てくださったのです。1時間ほど雑談をし、お見送りしたのですが、その際の「また今度」のことば通り、今年(令和4年)もお目にかかる機会がありました。今回ばかりはと社の歴史など猛勉強しておきましたが、会ってしまえば、完全に永島さんのペース。人を惹きつける独特の間合いに飲み込まれ、ただただ楽しいひとときを過ごしました。
 さて、そんな永島さんと次、和歌山でお会いするのは令和5年(2023)2月18日。和歌山城一周ゴミ拾いチャリティーに参加される際になる予定です。さらにその翌月には東京本社にご招待いただいています。先の勉強の成果を少しだけ披露すると、本社の一角にある『明治生命館』は岡田信一郎の設計により昭和9年(1934)に竣工したネオルネサンス古典主義様式の建物。昭和の建造物として初めて重要文化財に指定された名建築です。先月(令和4年10月)、その1階に『静嘉堂文庫美術館』の展示ギャラリーが移転オープンし、東洋文化の一大宝庫として公開されています。そこで永島さんの笑顔がまた見られると思うと、今からその日が待ち遠しくてなりません。

ワシントンD.C.『リンカーン記念堂』訪問時の永島氏