よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

東京での貴重な体験

三菱グループの迎賓館『開東閣』にて。

 今年2月に『Jリーグウォーキング in WAKAYAMA& わかやま道の駅祭り』が開かれた際、主催の明治安田生命・永島英器社長から「今度は東京にお招きします。」とのお誘いをいただきました。そして4月 27 日、千代田区丸の内の明治安田生命ビルで和歌山県物産展が開かれるのに合わせて東京へ。メンバーは下副知事、紀陽銀行の松岡会長、原口頭取と私です。まず 30 階にある応接室に通され、永島さん、浅野常務、村尾和歌山支社長、須藤同支社部長としばし歓談。大きな窓から望む皇居は、それだけを見て帰っても十分なほどの素晴らしい眺めでした。しかし、いやいやここからが本番。永島さんの案内で、ビル内に移転オープンした『静嘉堂文庫美術館』を訪ねました。特別展「明治美術狂想曲」が開催中だった館内には、橋本雅邦の「龍虎図屛風」や黒田清輝「裸体婦人像」など明治美術の名作がずらり。また、7点を収蔵するという国宝のうち「曜変天目」が展示中でした。曜変天目は世界(日本)に現存する完形品が3点のみという茶碗で、静嘉堂文庫収蔵の品はそのなかでも最も美しいとされています。これまで美術本でしか見たことのない逸品に見とれていると、案内係を務めてくれていた学芸員さんが他の収蔵品についてもいろいろ説明してくれました。「ところで手掻包永太刀は展示されていないのですか。」私が見てみたかった鎌倉時代の太刀について尋ねると「国宝は一度に2つ以上は展示できないんです。」とのこと。なるほどそれはやむなし。また、国宝ではありませんが、割れても復活するという茶入れの「付藻茄子」もこの日は展示されていませんでした。残念でしたが、展示される日を待つという楽しみがひとつ増えました。
 さて、後ろ髪を引かれる思いで美術館を後にし、次に向かった先は港区高輪の『開東閣』。三菱の創始者である岩崎弥太郎の弟・弥之助が別邸として建てた洋館で、設計者は鹿鳴館も手掛けたジョサイア・コンドル。その後、空襲で内部の大部分を焼失したものの三菱グループが修復し、現在は同グループの迎賓館として利用されている建物です。実はここでフルコースディナーをご馳走いただくというのがこの日のメーンイベント。重厚で荘厳な雰囲気のダイニングに通され、さすがの一言に尽きる美味しい料理をいただきました。
 皇居を一望、美術品を拝み、美食を堪能とまさにおなか一杯の一日でしたが、夜はこれから・・・。「ここからは私にお任せを」とばかりに皆さんを銀座のクラブ『麻衣子』にお連れしました。「しかし、宮本さんはいろいろ詳しいですね。」「いや、下手の横好きで。」などと今日一日を振り返りながらグラスを傾けたのですが、私としては内心ほっとしました。自分自身、美術全般を好みはしていますが、学べば学ぶほど知るのはその奥深さばかり。浅学無知のまま拝見するのは申し訳ないと、今回も予習を時間だけはたっぷり重ねたまで。宿泊組の5人で帝国ホテルに帰り着き、2階の『オールドインペリアルバー』で三次会に臨んで初めてお酒の味を実感できたというのが正直なところです。

ディナー後のスナップ。

執務室にて静嘉堂文庫収蔵の品を予習。