よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

人間万事縁と運① 父の一言で命拾い

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 当社が千葉工場で再割後プレカット事業を手掛けた1985年。筑波山のふもとでは、つくば科学万博(国際科学技術博覧会)が開催されていました。 当時、子供が中1・小6・小4とまだ小さかったこともあって、私がその3人を連れて万博に行こうということになり、飛行機、ホテルの手配をしました。往路は8月11日伊丹発羽田行のJAL便、そして復路は翌12日羽田発伊丹行の同じくJAL便という旅程でした。
 旅行前日の10日、父が体の具合を悪くして寝ているというので、3人の子供を連れて見舞いに行きました。その際、万博に行くという話をしたところ、隣で聞いていた姪っ子が、いとこの皆が行くなら自分も行きたいと泣き出したのです。それを見た父が「次朗、なんとかならんか。」と言うので、旅行会社に相談すると、1日スライドして12日出発にすれば人数変更のうえで行けるとのこと。早速、変更を依頼し、翌日姪っ子とともに会場へ。子供たちがパビリオンを回り始めて2時間が経った頃。会場にアナウンスが流れ、場内のテレビにもそのニュースが大きく映し出されました。
 そう、日本航空123便墜落事故の一報です。そして、123便はまさしく、当初予約していた復路の飛行機だったのです。そのことに気付いた子供たちは大混乱。飛行機では帰りたくないと言い出しましたが、仕事のスケジュールを考えると、新幹線に変更するわけにもいきません。子供たちをなだめながら万博会場を見て回りホテルで1泊。翌日、飛行機に乗り込みました。すると、550人乗りのジャンボに乗客は100人足らず。機内はシーンと静まり返り、どこからも会話が聞こえてきません。そんな雰囲気のまま飛行機は伊丹に到着。無事着陸した瞬間、子供たちは泣き出し、その肩に手を置いた私の目にも涙が溢れてきました。
 あのとき、父が姪っ子の同行を強く願わなかったら・・・。今でもぞっとする人生の一コマです。

 よろずやジロー、きょうのひとこと。
 合掌。そして強運な父に感謝。