よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

難波でナンパの大学時代

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約50年ぶりに母校を訪問した際の筆者。

 父の思いとちょっぴりの自覚で、私は近畿大学に進みました。とはいえ勉強嫌いを絵に描いたような当時の私が急に真面目になるわけもなく、通学コースを外れては、難波でナンパを繰り返していました。ちなみに成功率は結構高かったと思います。また、キャンパスにようやく辿り着いたとしても、大教室の講義では友人に代返を依頼する始末でした。
 こんな生活を送りながらも、単位取得はなんとか進み4回生になった私ですが、ある日、大問題に直面します。
 「卒論が書けない。」
 まさに因果応報。日頃の勉強不足がたたり、卒論のテーマが全く思い浮かびもしないのです。困り果てた私は、「商経学部の卒論なんだから、商売の現場を見聞きすれば何とかなるのでは。」と考え、父に助けを求めました。すると父は、知人を介してインターンシップを手配してくれ、私は東京の製材会社に送り込まれました。仕事の内容は、トラックの荷台の構造に使う南洋材の加工。六畳間に2段ベッドという相部屋の宿舎に入って40日間、工場での仕事を経験しました。
 毎朝6時からの掃除に始まり、ひたすら木材のカットを続ける仕事は、大学卒業後さほど年を経ず経営者になった私にとって、人の下で働く貴重な場となり、その後の人生にも良い影響を与えてくれました。ただ、これを卒論のテーマとする力は当時の私にはなく、最後は今でいうコピー&ペーストで切り抜けたことを告白しておきます。
 そんな大学4回生時、私は父の会社に実質上の入社をします。布施の木材市場に材木を運ぶのに近大生は好都合※なことから、週1回、トラックを運転して材木を運び、その足で通学をしたのです。

 よろずやジロー、きょうのひとこと。
 勉強ばかりが大学生活じゃない、はず。

※当時、木材市場は東大阪市にあり、同市内の近畿大キャンパスに近い立地だった。

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様変わりした近畿大学東大阪キャンパス。