よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

人生の師と仰ぐおひとり

日本経済新聞『私の履歴書』より

 囲み欄の中央で弾けるスマイル。これはどこかで見たお顔、いや、私が30年以上にわたり師と仰ぐお方ではありませんか!
 日本経済新聞最終面のおなじみ連載企画『私の履歴書』で6月に取り上げられたのは、住友林業の最高顧問で元会長・社長の矢野龍さん。これまで本当にお世話になり、今も交流が続いている御仁です。
 紙面では、日本の敗戦で旧満州から命からがら山口県に引き揚げてからの貧しい幼少時代や、その後の学生時代。住友林業に入社しシアトルに駐在したこと。出世を果たし、社長、会長を歴任したこと。人生を支えた住友精神などが語られ、毎回、わくわくしながら読ませていただきました。
 私が矢野さんに初めてお目にかかったのは昭和57年(1982)、当社の千葉工場が稼働して2年経った頃でした。以来、いろんな仕事でご一緒することになりましたが、平成15年(2003)10月のある日、当時の矢野社長からいきなり「次朗ちゃんの経営哲学はどういうもんや」と尋ねられました。私は考えた挙句、「プレカット、建設、リフォーム。事業をその時々に必要とされるものに切り替える“環境適応業”が経営の全てだと思います。」と答えました。社長が続きを促すので、自らのこれまでの道のりが決して平坦なものではなかったこと。しかしそれらを乗り越えてこられたのは、そのときどきに、お互い命を賭け合える相手に恵まれたこと。そんないろいろをお話ししました。なぜ社長が急な問いかけをしたのか。おそらく「いっぺん、こいつの話をゆっくり聞いてやろう」長らく共に仕事をしてきた後輩への心遣いだったのだろうと思っています。
 その後も、住友・三井の新入社員向け工場見学会の派遣先に当社の和歌山プレカット工場を推薦いただいたり、建築基準法改正の折には厳しく叱咤いただいたりと、ことあるごとにお世話になってきました。
 酒席になると、「これまでお互い切磋琢磨してきたんだから、今後より努力すれば独創性のあるニュービジネスに到達できるかもね。あ、僕も君も、もうそんな歳ではないか。でも大丈夫。」とハッパをかけてくれたかと思えば、「この間、インタビューされたときの相手の女性はね・・・」と少し鼻の下を伸ばすお茶目なところも。とにかく全ての面でスケールの大きな人物というのが、私から見た矢野龍さんでしょうか。
 紙面を通してではありますが、今回、いつまでもお元気な姿をお見かけし、また近くどこかでご一緒できればと思った次第です。