令和3年1月27日、敬愛する兄の堯夫が亡くなりました。戒名は『光喜院顕空堯祐法道居士』、満中陰を無事に済ませたばかりです。
兄は父が興した事業のうち建売住宅の販売と不動産関連業を継ぎました。弟の私は製材業。父は、何事にも慎重居士な兄に本家を守るにふさわしい業種を継がせ、伸るか反るかの勝負が必要な製材を私に任せたのだと思っています。
さて、昭和19年の早生まれで3学年上の兄堯夫にまつわる一番の思い出といえば、私の"行方不明事件"です。兄が小学1年生だったある日、私を連れて登校し、私は教室に紛れ込んで兄の隣で授業を聞いていました。その時点でどうして先生が兄に注意しなかったのか、いやしたのかは定かではありません。ただ時間は過ぎていき、家では私がいないと大騒ぎに。工場の隅から隅まで、果ては工場脇の市堀川に係留していた筏の裏まで探し回ったものの見つからず、警察と消防に通報。近隣も総出で捜索に当たっていると、昼前になって「次朗なら、兄ちゃんに連れられて学校の方に歩いて行ったよ。」との証言が得られたんだそう。
それを聞いた母が慌てて学校に駆け付け、私たち兄弟は揃ってこっぴどく叱られました。しかし兄は悪びれることもなく、「次朗が一緒に行きたいって言うから連れて行ってやったんや。」と反論。横で聞いていた私はなんとなく「お兄ちゃんはすごいな」と感心したことを今も鮮明に覚えています。
時は流れ、私たち兄弟はともに父の事業を受け継ぐ経営者になりました。そして私が経営に行き詰まったとき、兄は何も言わずに助けてくれました。そのときも私は感謝とともに、あの日と同じ気持ちになったのです。
よろずやジロー、きょうのひとこと。
お兄ちゃんはすごいな。
合掌。