玉音放送の草案を執筆。のちに平成の元号を発案した安岡正篤は「思考の三原則」として次のことばを遺しました。
第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること。
第二は、物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に見ること。
第三に、何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える。
このことばと、私が前回披瀝した自らの失敗を照らし合わせてみると、さもありなんと感じさせられることがいくつもあります。何もしないことを悪と考え、とにかく一生懸命動き回っていたあの頃。メインのプレカット事業をよそに枝葉の事業をいくつも手がけました。そして枝葉という意識を持つがゆえ、やはり目先しか見ていませんでした。その結果、いくつもの子会社、多くの社員を犠牲にしてしまったのです。『社員は家族』を標榜していた私が何たることか。
今となって分かるのは、育てるべきは苗だったということ。苗という認識があれば、根を張り、枝を整え、葉を広げ、花を咲かせて実を結ぶまでを見据える心構えもできるというものです。そういえば、以前ご紹介した「鄙事多能」は、難しいことをするよりも簡単なことをきちんと処理できる方が素晴らしいという意味でしたね。こう説いた孔子は、次に挙げる4つのタイプの人間が嫌いだったそうです。
①他人の失敗を喜ぶ人
②上司の悪口を言う人
③ただの乱暴を勇気とはき違える人
④独断で決めることを良いと勘違いしている人
これまでの人生、失敗だらけの宮本次朗を孔子はどう見るでしょう。
よろずやジロー、きょうのひとこと。
失敗を反省し次に進む。
Never to Late. 今からでも遅くはない。