昭和50年、私は父の跡を継いで28歳で社長になりました。ライバル他社の社長はもちろんのこと、自社の幹部もみな年上。普通なら委縮してしまいそうな環境ですが、何につけても強気一辺倒の私は歳のことなど気にもせず、今ある経営資源(ヒト・モノ・カネ)で利益を上げるため、大ナタを振るいました。
時あたかも木材業界の転換期。従来の製材業だけでは先細りになることを悟った私は現地挽き、再割と事業の軸足を移していきます。そしてプレカットにたどり着くわけですが、その過程で、会社に必要なのはヒト・モノ・カネだけではないことに気付きました。目まぐるしく移り変わる時代を乗り切るには、情報・ノウハウが不可欠だったのです。そこで私は情報収集能力を磨くことを第一に心がけるようにしました。社内外でのコミュニケーションの機会を増やすことで世のニーズを捉え、常に一歩先を掴む。その積み重ねがノウハウとなっていき、重要な局面での即断力に結び付いたと思います。
こう書くと全てにおいて正しい行動が取ってきた人間のようですが、実際そううまくはいきません。40代、50代と歳を重ねるなかで積み上げてきた自信は、一方で傲りにもつながっていたのです。例えば、本社建設部に続きリフォーム専門子会社の『リフミック』を設立したとき、私はこの2部門が共に社の柱に育つと考えました。ところが、この策は結果的に技術力を分散させることになりました。これは、後にリフミックを解散し建設部に機能を集約しても総売上高はほぼ変わらなかったことを見ても明らかです。
他にもしでかした失敗は数知れず。それらにまつわる反省譚は後日記すとして、まさに『忠言は耳に逆らえども行いに利あり』。周囲の声に耳を傾けることの重要性を再認識したのは、還暦近くになってからのことでした。
よろずやジロー、きょうのひとこと。
『若くしては老人と交わり、老いては青年と交わる。』
心を留守にするな。