よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

心の礎~一枚の絵~

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寺内観山『瀞渓谷の筏流し』。

 コロナ禍のもと、出張もゴルフもできず、必然的に会社にいることが多くなっています。そんなある日、応接室での打合せを終え、室内をなんとなく見渡したとき、1枚の絵が目に留まりました。和歌山市出身の画家、寺内観山による『瀞渓谷の筏流し』という作品です。この絵はもともと和歌山市北島にあった製材工場の事務所にかけられていたもので、その頃のことを急に思い出したのです。
 「ちょっとそこまで運転してくれるか?」高校生だった私に父が声をかけてきました。「無免許運転になるから・・・」と渋ると、父は「軽四輪免許持ってるやろう。普通車も軽四輪もタイヤは4つで同じや。」と強引な理屈を付け、新しい製材工場まで約5kmの道のりを私に運転させました。その工場の事務所にあったのが筏流しの絵。のちに事務所は2度の火災に遭うのですが、不思議なことに絵は難を逃れ、かれこれ60年にわたり私のそばにあるのです。
 この絵に描かれているのは、熊野川の上流にあたる瀞峡の流れに抗う巨岩と筏の姿です。絵の中の筏に私はいつしか、自身、そして会社を重ね合わせるようになりました。艱難辛苦の中にあっても、この筏のように激流をいなしながら進んでいこう。そんな心持ちだったのだと思います。絵を眺めるうち、巨岩が3頭の象の親子に見えてき始め、次いでMの文字に見えるようになりました。Mといえば宮本、私は筆を取り、巨岩からインスパイアされたMの文字を書きつけました。そして絵でいえば筏の部分にMIYAMOTOと記してみました。これをプロの手によってデザイン化したのが、実は現在の宮本工業グループのロゴなのです。
 父が大事にしてきた絵が父の没後、会社のロゴの原案になるとは、やはりこの絵との縁の深さを感じずにはいられません。それとともに絵の筏師のバディのごとく、会社の存続に尽くしてくれた社員、私を支えてくれた家族のことを想うと自然と涙がこぼれてきました。また、三代目が絵とともにそこに宿る精神も受け継いでくれていることを感じた、その日の午後でした。

 よろずやジロー、きょうのひとこと。
 必然を感じる、一枚の絵との出会い。

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当社のロゴ。