小学生の頃、母に「お父ちゃんが『次朗にはしっかり勉強させてくれ。』って言うてたで。」と言われたことがありました。
父も母も学校は尋常高等小学校までしか行っておらず、読み書きが苦手。あるとき母が、私の学校の書類に記入しつつ、「この宮本っていう字、あんたから見てきれいか。」と尋ねてきたくらいですから、コンプレックスがあったのでしょう。子どもにはそんな恥ずかしい思いをさせたくないと考えていたらしく、私を習字にソロバンにと通わせてくれました。
しかし、当時の私は遊びたい一心。将来のことなど真剣に考えぬまま、中学校生活も半ばを過ぎたある日。父が「次朗、ちょっと話があるんやけど忙しいか。」と話しかけてきました。「10分ほどで終わるから座ってくれ。」という言葉に、何ごとかと思いつつ向き合ってみると、父は次の3つの事柄を私の方を見据えながら話し始めました。
①高校に進んでくれ。
②さらに大学にも行ってくれ。
③そのあと、どんな仕事をするつもりか。
よく考えると、これはおかしな論法。大学はもちろん、高校に行くかどうかも決めていなかった私に、大学卒業後の展望があるわけがありません。しかし、いつもと少し違う父の態度に圧倒され、「まだ先のことやから考えとくわ。」と、その場しのぎの返事をした私でした。
後年、母から聞いたのですが、当時父は私を医者にしたかったんだそうです。事故に遭い、右目を失明、左目も視力が0.3ほどに落ちていた父は、医者になった私にそれを治してもらいたかったとのこと。そんな気持ちには全く気付かなかったものの、あの日の父の顔は大変印象深く、私はいつの間にか将来のことを朧げながら考えるようになっていたのです。
よろずやジロー、きょうのひとこと。
頭より心に伝わった父の思い。