フレディ・スヴェイネ・デンマーク大使の一行が当社に見学に来られたのは2016年2月10日のこと。工場見学・懇談を合わせ45分間でしたが、海外の要人を迎えるのは初めてだったため、入念に準備をしてお迎えしました。
当社の迎賓館「家族館」でご挨拶した際、私はデンマークの19世紀の哲学者セーレン・オービエ・キェルケゴールの話をしたのですが、後から聞くと大使はそのときのことを印象深く憶えていてくださっていたそうです。
さて、その年の11月末、クリスマスパーティーにお招きいただき、私は東京の大使館を初訪問しました。すると翌2017年2月10日には大使が再び来和され、当社に来られました。
お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、大使が来和されたのは、ともに2月10日。となれば、この日にまつわるデンマークと和歌山の浅からぬ縁について述べねばなりません。
1957年2月10日、紀伊水道を航行中だったデンマークの貨物船が、火災を起こした徳島県の運搬船を発見。その船員を助けようと荒海に飛び込んだヨハネス・クヌッセン機関長が帰らぬ人となりました。現場に近い和歌山県美浜町では、彼の死を悼み、三尾地区の景勝地・日の岬に胸像を建てるとともに、毎年命日には追悼式典を行っています。そして2017年は、海難事故から60年、クヌッセン生誕100年。さらに日本とデンマークの国交樹立150年が重なる年とあって、大使の他、デンマーク本国からメテ・ボク文化大臣一行も和歌山に来られたのです。
大使と初めてお会いしてから1年。言葉の壁を越えて意気投合したことを自認していた私ですが、その後まもなく、僥倖にめぐり会うことになります。これについては、また次回。
よろずやジロー、きょうのひとこと。
助け合う心こそ、平和友好の第一歩。