これはいつのことだったか。学校帰りの私を、竿竹売りの自転車が売り声を上げながら追い越していきました。
家に帰り着くと母がいたので、「さっき『竹屋ぁ、竿竹。』って物干し竿売ってたけど、竹の子どもがタケノコよなぁ。」と尋ねました。「そうやで。」「じゃあ、うちの物干し竿の両端、10センチぐらいずつ切ってもいい?」
父の大好物はタケノコの煮物。そのとき私は、竿の端を煮込めば同じものができると考えたのです。母の許しが出たので糸ノコギリを持ち出して竿を切り取り、ちくわ状にしたあと、今度は斧で割って板状に。これで下ごしらえができたので、いよいよ鍋に入れて調理です。
湯が沸き立ったところに砂糖と醤油、そして化学調味料を加えて煮込むこと20分ばかり。さらにかつお節を削り入れ、見るからに立派な煮物ができあがりました。
「おかあちゃん、これ今日の晩ごはんのおかずに食べてもうて。」私が言うと、「次朗が作ったんやから、まずは自分で味見してみなさい。」と、いつかどこかで聞いたような台詞が返ってきました。
その後はお察しの通り。まずは自分でやらせてみるという母の姿勢は、その日も揺らぐことはありませんでした。
よろずやジロー、きょうのひとこと。
目をつぶれば今も蘇る、あの日の味と母の面影。