私が5歳か6歳だった頃のある日、幼稚園から家に帰ると、母が庭にむしろを敷き、何やら作業をしていました。「おかあちゃん、何してんの。」私が尋ねると、母は「お父ちゃんの枕の中の小豆、天気干ししてるんやで。」と答えました。「小豆って、いつも炊いてくれるぜんざいの小豆のこと?」「そうやで。」
それならば、その小豆もぜんざいにできるのか、さらに私が尋ねると、母は次に小豆を入れ替えるとき取っておくと約束し、のちに実際、私に小豆を渡してくれました。
善は急げとばかり、早速、母親に教えを請いつつぜんざい作りを始めた私。鍋を火にかけてしばらくすると湯が沸き始め、それとともに小豆から油のようなものがブクブクと浮いてきました。様子が変だとは思いつつ、次は砂糖のありかを聞いて適量を投入。30分ほどでぜんざいはできあがりました。
「おかあちゃんできたで。味見してみて。」私が喜び勇んで母に告げると、母は「次朗が作ったんやから、まずは自分で味見してみなさい。」と言うのです。そこで私は、椀に入れたぜんざいが少し冷めるのを見計らって口に含んだのですが…。
思わずぜんざいを吐き出した私と、それをニコニコ笑いながら眺める母。当時は恨めしく思ったエピソードですが、今考えてみると、母は私に何事もまず自分でやってみることを教えてくれていたのだと気付きます。
よろずやジロー、きょうのひとこと。
おかあちゃん、でもあの味はさすがに殺生やで。