よろずやジロー~宮本次朗【プレカットの宮本工業グループ相談役】のブログ

プレカットの宮本工業グループ相談役、宮本次朗の一代記。人生を彩る貴重な出会い、感銘を受けた言葉を振り返りつつ、明日を語ります。

大先輩が教えてくれた人生のバイブル

中村天風の著作をただいま再読中です。 夜、翌日やるべきことを6つ書き出し、重要度が高い順に並べる。翌日、その順に作業をこなし、夜になったらまた翌日やるべきことを並べる・・・。これが20世紀前半にアメリカのコンサルタント、アイビー・リーによって考…

次こそは~痛恨のクロンボー城

スウェーデンを望むエアスン海峡に面したクロンボー城(公式ページより引用) 親善大使の称号をいただいたとはいえ、デンマーク王国を訪ねたのは2017年7月と2019年7月のまだ2回。コロナ禍の影響でなかなか機会に恵まれません。それでもいつか3度目のチャ…

仙台国分町の夜は更けて

「THE」が付くのと付かないのとでは大違い。英国王室御用達のスコッチウイスキー『ロイヤルハウスホールド』。 昭和62年(1987)、和歌山製材工場のプレカットへの移行を決断した際、三菱商事関連会社社長らと会食のため赴いたのが、仙台という街とのご縁の…

環境適応業の考え方は正しかったのか?

社長就任時に設けた旧社長室。新社屋に移ってからも、私にとってここは沈思黙考の場です。 戦後の日本は昭和 29(1954)年 12 月に始まった神武景気を皮切りに、岩戸、オリンピック、いざなぎと、実質経済成長率が年平均 10 %超となる大型景気を経験。国民…

健康って

1日1度は見た目をチェック! WHO(世界保健機関)の定義によれば、健康とは「肉体的、精神的、社会的に、すべてが満たされた状態にあること」をいうそうです。ただ、これでは抽象的だからと肌感覚での表現に挑んでみると、今度は人によってバラバラ。あ…

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 私の正月は日めくりをめくることで始まります。『その日その日が一年中の最善の日である』。~ある日ある日の優劣にとらわれず、日々をありのままに生きよう~。エマーソンのことば…

『ジロー物語II 運と努力の雑記帖』発刊のお知らせ

『ジロー物語II(仮)』として予告しておりましたブログ本第2弾がこのほど完成しました。ただいま謹呈のためのサイン入れに勤しんでいます。タイトルは『ジロー物語II 運と努力の雑記帖(ランダムノート)』。ブログの執筆時期がコロナ禍と重なったことで、…

宮本工業グループ75年史ダイジェスト⑤

哲治が社長に就任し、私が会長に就いた2012年10月以降、当社はこの2人による両輪体制で経営の安定と新機軸の構築を目指すことになった。 哲治社長は就任当日の第53期経営方針発表会で次のように決意を述べている。 創業者の祖父、2代目の宮本オーナーの基…

宮本工業グループ75年史ダイジェスト④

哲治が宮本工業代表取締役社長に就任し、私が代表取締役会長に就いたのは2012年10月のこと。哲治の入社から社長就任まで15年あまり。この間に世代交代に向け私がまず行ったのは負の遺産の整理だった。 2001年9月期に子会社オーセンテックを特別清算。資金確…

宮本工業グループ75年史ダイジェスト③

1997年10月の組織再編で生まれた建設部は旧体制以来、住友林業からの受注による木造住宅建築の他、工務店からの受注や自社受注による木造・鉄筋の住宅・ビル建築を行っていた。ここに1998年から『株式会社松源』の店舗工事が加わり、その数は年々増加。今で…

宮本工業グループ75年史ダイジェスト②

父が興した木材業の責任者となった私は、28歳で宮本木材工業代表取締役社長に就任した。そして木材業は環境適応業であるという考えのもと、社業の中心を製材業から現地挽、再割、プレカットへと変遷させていく。和歌山に本社を置きつつ他県への進出を図るな…

宮本工業グループ75年史ダイジェスト①

当社の『50年史』。次回の75年史も表紙は銀箔の予定ですが、100年史はぜひ金箔で。 お久しぶりです。現在『ジロー物語Ⅱ(仮)』の刊行に向けて準備を進めています。今日から数回に分け、ブログ本第2弾に掲載予定の「宮本工業グループ75年史ダイジェスト」を…

ご縁とおかげの100回目

ちょいとお休みをいただきます。 『宮本工業グループ75年史』の編纂にあたり、縦の歴史である社史に対して、横の歴史とでもいうべき折々の機微を残しておこうと始めたのがこのブログです。平成30年(2018)10月1日以来、おおよそ10日に一度のペースで書き綴…

木材が買えない!

先日来、旧知のお二人から相次いで電話がありました。どちらも急ぎの木材が手に入らず困っているとの由。そこで早速、当社の在庫を調べてみましたが一部足りない物もある模様。実は国内の木材市場の需給は逼迫しており、当社含め木材業界全体が品不足に悩ん…

コロナ禍の中のゴールデンウィーク

いろんな資料と格闘し、休暇モードから平常運転に。 最大11連休の会社も、といわれた今年のゴールデンウィーク。当社は暦通りの休暇でしたが、還暦の頃から3日も休みが続くと頭の回転が鈍ってくる私にとっては長過ぎる休みです。そこで今回は5月1日と4日…

商売繁盛・家内安全

令和3年3月23日、当社初午祭の様子。 子どものころ住んでいた和歌山市寄合町の家の庭に稲荷社がありました。父が商売繁盛・家内安全を祈願して建てたものです。現在は本社敷地内に置いていますが、通算70年あまりにわたって宮本家では旧暦の初午の日に社殿…

涙の興奮冷めやらず

マスターズwebサイトhttps://www.masters.com/より引用。 「もしかして勝ったりしたら・・・」そのことが意識下にあったのでしょう。4月12日(月)、いつもより少し早く午前4時前に目覚めた私は、録画予約していたにもかかわらず早速テレビを点け、ゴルフ中継…

痛風とともに

ある朝の食事。ありがたくいただきました。 令和元年(2019)のゴールデンウィーク明け、それまで半年余り治まっていた痛風の症状が再発しました。毎月1度訪れる赤坂のクリニックで相談すると、まず心当たりがあるかどうかを尋ねられました。私は生活習慣、…

痛風がやってきた

サイドを切った特製?シューズ。「こうまでしてゴルフ?」と言うなかれ。 日記をめくると、それは平成30(2018)年8月12日のこと。なんともいえない足の痛みで目覚めると、右足の親指とその周りが青紫になり腫れ上がっていました。これが世にいう痛風か・・・…

兄との別れ

令和3年1月27日、敬愛する兄の堯夫が亡くなりました。戒名は『光喜院顕空堯祐法道居士』、満中陰を無事に済ませたばかりです。 兄は父が興した事業のうち建売住宅の販売と不動産関連業を継ぎました。弟の私は製材業。父は、何事にも慎重居士な兄に本家を守…

タイム・イズ・マネー

飛行機 vs 新幹線、あなたはどちら派? 「時は金なり」といいます。ビジネスの世界においては、なんといっても時間を有効に使うことが金=稼ぎに直結するのです。 当社には千葉・仙台の両工場があります。そのうち、まず千葉工場ができた昭和55(1980)年当…

会議を変える。会社が変わる。

勝負の帰趨(きすう)はどうあれ、会社にはトップダウンが必要なとき、もしくはトップダウンでなければ前に進めないときがあります。ただ、その段階を過ぎると、今度はボトムアップなくして会社の成長は望めません。そこで重要になってくるのが会議です。 と…

忘れていた宝物③~ノートに綴った情熱

『人を動かす人になれ』は今も愛読書の一つです。 いつの間にかその存在を忘れてしまっていた26冊の大学ノート。ところが読み返してみると、そのとき感じた気持ち、読んだ本から受けた感銘が鮮やかに蘇ってきます。なかでも『人を動かす人になれ』(永守重信…

忘れていた宝物②~古典に学ぶ

当時書き写した本は今も書棚に。 書類の山から見つかった宝物。26冊の大学ノートに記した内容の多くは、私が読んだ書物の書き写しと要点のメモでした。例えば『人生の知恵』(守屋洋著)を読んだ際には、人を使うときの心得について書かれた部分や人間誰しも…

忘れていた宝物①~古びたノート

これが、見つかった大学ノートたち。 失くしたことさえ忘れていた物が、偶然見つかるという経験はありませんか。ある日の私がそうでした。来客と目の前の棚に保管している書類について話していたとき「あれ、あの棚の中に他にも何かあったような・・・」との思…

雲は流れ旗はたなびく

その日の私は多分こんな感じで・・・。 先日、当社の幹部が深刻そうな表情で私の執務室を訪ねてきました。案の定、危機的問題の発生です。ただ、騒いだとて解決するものでなし。相談役として、自らの経験と照らし合わせながら、アドバイスを送りました。 皆が去…

最悪な出会いと最高のお付き合い

仁坂知事、令和3年の一文字は「健」。 恋愛ドラマの王道パターンのひとつに、最悪な出会いから恋愛への発展というのがあるそうです。私にとって和歌山県の仁坂知事との関係は、まさにそんな感じなわけで・・・。 仁坂氏と初めて会ったのは氏の“二選”出馬が決ま…

謹賀新年

当社の令和3年日めくり。 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 当社の新年の行事に新年式があります。仕事始めにあたって経営陣が今期の必達目標に対する経過報告をするとともに、残り9ヶ月の戦術を全社員に熱く語り…

今も辿り着けないゴール

その昔、社長になったら会社を5倍の規模にしてやろうと意気込んでいました。ところが実際に社長になってみると、何から手を付ければいいのか全く分かりません。そればかりか自分が周囲からどう見られているのかが気になってしまい、主体的な判断が取れない…

コロナ禍で学んだまごころ

本社玄関のお札。社員が毎朝、手を合わせます。 10月1日付けブログ『うれしいプレゼント』で、熊野那智大社の疫病退散のお札をいただいたこと、そして和歌山・千葉・仙台の事務所玄関に貼らせてもらったことを記しました。また、お札に書かれている「蘇民将…